.魔改造. 〜造型の陥穽 己の技量を見誤り増長し、自らの闇に魅入られ、引き込まれた結末。 ※これは著者のごく一意見です。どう捉えるかはご覧になった方次第です。 |
本当は一回ご覧いただければすぐ「どんなモノか」は分かります。しかしここでそれをやっては何のための説明や前置きなのか分からないので言葉で説明します。
【魔改造】
「ガレージキット」
そして「魔改造」
長々と書きましたが、まあ率直に言えば「普通のフィギュアをハダカにする/エロ人形にする」のが魔改造です。
【ということで】
「原型」
まず「二次元」で展開されるマンガ・アニメ作品のキャラクターでフィギュアが作られる…これが「原型」です。当然ながらマンガ・アニメ同様に「作り手」が居ます。
その原型を分割してシリコンゴムの型を取り、その型に「キャスト」と呼ばれる材料を注入し硬化させたものが一般的に「ガレージキット=ガレキ」と呼ばれています。
ガレキはメーカーから一般的な流通を経由して模型店で販売されるものから、イベント時のみの版権許可を得て個人が販売し頒布されるものが主になります。
こうして得られたキットに対して、乳房や陰部を露出・新造するのが「魔改造」という訳です(これは魔改造としてはごく一般的な説明でして、実際には各製作者の性的嗜好に基づいた様々なバリエーションが存在します)。
キットに対して形状やディティールに気に入らない箇所を自分好みに新造・修正することを「改造」と呼びますが、より露骨な性的表現の実現を目指す点から「魔」の文字をつける…という解釈で良いかと思います。
(ミモフタもない)
だいたい一般的に「模型作り」というのは「不健全」「幼稚」とみなされがちで、二次元キャラを立体にしてまで所有し愛好しようという「フィギュア/フィギュア作り」は「さらに不健全」「気持ち悪い」「ヲタク」と思われます。というかこの時点でかなり他人に公言できる趣味/作業ではありません。
「魔改造」ともなれば、だいたい普通にシチュエーションを考えて対人的な印象は「最悪」です。
公言どころかむしろ実社会においては積極的に隠匿しなければなりません。実際自分もそうですから(汗)。
職場や家族、親類に知られたらどうしよう…とか。正直、負い目を感じます。
(ほんとかΣ(゚Д゚))
それを知ってしまった自分は「自分もそうした作品を作ってみたい…」と思うようになりました。まさに「匣の中の娘」の主人公さながらです。
こうした愉しみ方がフィギュアにはあるんだなあ、と。本当に晴天の霹靂で。
正直、自分は「なんか不健康」「コワイ」としか思えず人形やフィギュアを敬遠してきました。フィギュアを作り始めたのは一年ほど前からです。自分が裸体を造型したらどうなるか。それを確かめたいという思いであり、キャラクターに対する思い入れではないあたりが不遜で幾分驕っていたとも言えます。「腕試し」のつもりもありました。
【魔改造の魅力】
自分が魔改造に魅入られた理由の一つは「通常ありえない姿を造型する」というカタルシスです。
えろげのキャラでもない限り、一般作品のキャラの裸身というのはどこぞのアニメや「サービスサービス」でもない限りありえない訳で。そうした「ないもの」を作る、ということに作り手の気概、好奇心が宿る訳です。誰かがやっていて、それで満たされているのならどうして自分で手間と時間をかけて表現する必要がありましょう。
こんな御託を並べる人間の作ったものがどんなものか。興味が出てきたようならば最初のページから先にお進みください。…ただ。このページも「匣」であり「境界」です。この中を覗いて自分自身が抱えて気づかずにいた闇に魅入られることのないようお気を付けください。こんな著者を嗤えるうちは大丈夫でしょうけども。
そんな虚構と向き合うつもりがないとお思いならば、このまま余所へお行きください。
その方が健全で普通で自然です。
…というかページの名前が名前なだけに、京極夏彦ファンが来られても不思議じゃないかも。ごめんなさい(;´Д⊂)。何だか自分が魔改造に感じた境遇が類似していたので(勝手に(゚∀゚)アヒャ)各所でイメージや文章引用してます…。もし権利者から文句が来たらただちに止めます(ってあり得るか? それ…)。
【「匣の中の娘」について】
先述しましたが京極夏彦氏の京極堂シリーズ第二作、「魍魎の匣(もうりょうのはこ)」に冒頭から断片的に引用されている小説が「匣の中の娘」という名前です。作中劇のような感じ…でもないか。
京極氏の特徴である「そんなことあるわけねえだろ(つд`;」が実は「本当だったのか…(゚Д゚)」という展開になるための基礎。「魍魎の匣」に限らず京極堂シリーズは「レンガ本」と揶揄されるくらい分厚い新書サイズ本なのですが、「魍魎の匣」の完成度はシリーズ随一だと思ってます。
2003.12.20 Racing 拝